2006年 02月 21日
冬の追憶No.22-27 |
「第5話 迷路」
静香と千晶は江ノ電に乗り、謝恩パーティが開催される「バンケットホール七里ヶ浜」へと
向かった。千晶は2月の末になって、やっと希望大学のKに決まったこともあって、嬉しくって
しかたがないといった様子だ。江ノ電の中でも、静香とその喜びを分かち合いたい様子で、
はしゃいでいた。
「江ノ電マップ」
千晶:「ねえ、静香。一番先頭に行って、二人掛
の席に座ろうよ」
そう言いながら、千晶は静香の手を引っ張るようにして、ホームの前方へと進んでいった。
先頭席は春の優しく透き通るような陽光が、
差し込み気持ちがいい。
静香:「そうね~。今日は天気がいいから、ひょ
っとしたら七里ヶ浜から富士山が見える
かもしれないわね」
静香の言葉どおり、よく晴れた日には、まるでダイヤモンドを散りばめたような煌めく海面の向こうに、薄瑠璃色(るりいろ)に白い根雪がかった美しい富士の姿を眺めることができる。
彼女は車窓から見えるそんな七里ガ浜の光景が好きだった。
※瑠璃色(るりいろ)がどんな色なのか、「和色図鑑」にリンクを貼ってありますので、ご興味のある方はご参考になさってみてください。また下記「2月の鎌倉」というページに七里ガ浜
から眺めた富士山の写真が掲載されています。こちらの方も合わせてご覧ください。
なお、「2月の鎌倉」というページの件で「鎌倉★情報館管理人のよろずや」さん
とおっしゃる方から、コメント欄を通じ、ご連絡をいただきました。「よろずや」さん、すてきなページを公開してくださってありがとうございます。この場をお借りして、
御礼申し上げます。
「和色図鑑」
「2月の鎌倉」「鎌倉★情報館管理人のよろずや」さん制作
また、2月9日投稿の「冬の追憶No.22-21」の中で、
雨漏り氏が旧喜多川邸を尋ねるシーンが出てきますが、「鎌倉★情報館管理人のよろずや」さんから「旧川喜多邸で映画を観る!」といページのご紹介もいただきました。
今年の2月26日にプレアデス国際短編映画祭に推薦する日本作品の選考会というのが行われるとの情報です。詳細は下記にリンクさせていただきましたので、ご興味のある方はこちらの方もご覧ください。
「旧川喜多邸で映画を観る!」
遠山誠は子供達が小学生の頃、春休みなどに「高徳院の大仏」や「光則寺」また「長谷寺」へと家族を連れて遊びに出かけた。そんな時は必ずと言っていいほど、江ノ電の先頭席に
座った。万が一、混んでいて座れない場合は、次の電車を待ったくらいだ。
息子の潤がその席に座りたがったからだ。普段は礼儀や言葉遣いに厳しい父だったが、
子供の小さな夢や願いを優しく聞き届けてくれた。彼女はそんな家族の記憶空間を、懐か
しく思い出していた。
しかし、鎌倉が大好きな父の誠が行きたがらない場所がひとつあった。夕闇迫る由比ガ浜
だった。静香が子供の頃、夏など父と一緒に由比ガ浜に散歩に行こうとねだっても「また、
こんど」と言って、いつもはぐらかす。母の響子に聞いても「父さんは今、お仕事がお忙しい
からね」と言ってなだめられる。だからこの頃の彼女は子供心に、父さんも母さんも夕方の
海が嫌いなのだと思っていた。
その理由を静香が分かったのは、中学に入学してからだった。自分の上には「作」という名前の兄がいて、水難事故で亡くなったことを。しかし、不思議なことに兄の写真は、ほとんど残っていない。正確には、父が静香にくれた1枚のスナップ写真を除いては・・・。彼女はどうしてなんだろうと、今でも疑問に思っている。
高徳院大仏 光則寺 長谷寺
※高徳院にある鎌倉の大仏の正式名称は「高徳院阿弥陀如来座像(こうとくいんあみだにょらいざぞう)。また「光則寺」は「行時山光則寺(高山さん制作)」、そして「長谷寺」は「浄土集鎌倉海光山慈照 院 長谷寺」といいます。これらのお寺はすべて江ノ電の長谷駅周辺に
点在しています。下記にそれぞれのお寺にリンクしてありますので、ご興味のある方はご覧になってみてください。
また、「鎌倉の大仏が何故建立されたのか」全くの謎とされていました。一説に
よると、奈良の大仏と同じように怨霊を鎮めるためにつくられたのではないかという説を公開してくださっている「岩井國臣さん」のページが興味深かったです。そちらのページにもリンク設定させていただきましたので、合わせてご覧ください。岩井國臣さん、ありがとうございます。この場をお借りして御礼申し上げます。
「高徳院鎌倉大仏」 「鎌倉大仏建立の謎(岩井國臣氏制作)」
「行時山光則寺」 「浄土集鎌倉海光山慈照院長谷寺」
七里ガ浜は、江ノ電の六つ目の駅。ひとつ手前の稲村ガ崎から小動岬(こゆるぎみさき)へ至る全長約4kmにも渡るゆるやかな海岸線は「日本の渚100選」にも名を連ねている。その海岸沿いの国道134号(別名 湘南道路)と平行して江ノ電が走っている。
また、穏やかな由比ガ浜海岸と比べると波が荒く、カラフルなヨットやウィンドサーフィンを楽しむ若者で賑わい人気を集めている。稲村が先を越えると目の前は青い海。そこは古都鎌倉というよりも湘南といった雰囲気だ。
彼女たちは七里ヶ浜駅から循環バス(有料 100円)に乗って、バス停の「潮騒通り」で下車をした。目の前がもう「バンケットホール」だった。
K女学院の謝恩パーティは、定刻どおり午後1時から始まった。千晶の母は、定刻よりも少し遅れて到着した。
パーティ会場からはガラス越しに江の島や相模湾を望むことができ、潮騒の心地いい音色がこだまするような海辺のホテルらしい雰囲気だった。パーティは立食式。生徒や教師、父兄が自由に交流できるようにという配慮からだ。和やかな至福の時が流れ、パーティが中盤まで
さしかかった時、女性教頭のアナウスが流れた。
教頭:「今から、高等部の卒業試験において優秀な成績を収められた生徒さんの表彰を
行います。名前を呼ばれた方は前に出て来てください。理系から4名の方、そして
同じく文系から4名、計8名の方を選出いたしました」
今年のK女学院の卒業生は、全部で163名、クラスは全部で4クラス。静香と千晶は文系の
クラスに所属していた。一瞬、水を打ったような静けさに会場が包まれた。皆、誰の名前が
呼ばれるのか緊張した面持ちで教頭先生が発する声に注目している。最初に、理系の生徒の名前が読み上げられた。名前が読み上げられた生徒は、嬉しそうな表情で前へと進む。
その度に、生徒の間から「わあーっ」というどよめきがおきる。
文系の生徒の番になった。次々と名前が呼ばれ、最後の一人が読み上げられようとした時、
千晶が静香に
千晶:「ねえ、ひょっとして静香かもよ」
と言いながら、彼女のセーラー服の上着の裾を引っ張る仕草をした。
「鎌倉プリンスホテル」 「鎌倉プリンスホテルアクセスマップ」
実は前日、担任の先生から静香宛に「成績優秀者」で表彰されることになったという電話を
もらったのだった。その連絡を受けたのは母の響子だった。彼女は勿論、とても喜んだ。
しかし娘に対して、あえて苦言を呈した。
響子:「静香が表彰されるのは、とても嬉しいことだけど・・・。当日のその時になるまで、
このことを学校で話してはいけませんよ。静香や千晶さんは、運よく希望大学に
合格できたけれど、浪人してもう一年頑張ろうとしている生徒さんもいるのです
から。決して浮かれてはいけませんよ」
響子らしいアドバイスだった。彼女も静香がそんな娘でないことはわかっていたのだが、
夫の誠がこの場にいたなら、同じことを娘に言ったと思ったからだった。
父兄も生徒も先生も、最後のひとりが誰なのか沈黙の面持ちで、じっと耳を澄ましている。
その静けさを破るように、教頭先生の声が会場に響き渡った。
教頭:「3年B組 遠山 静香さん」
静香の隣にいた千晶が「やっぱりね~」という表情をしながら、彼女の背中を押した。誰に
でも優しく控えめな静香に、クラスの皆は好感を持っている。何処からともなく、拍手が沸き
起こった。そして皆のどよめきに、たじろいでいる静香に対して「静香!静香!静香!・・・」
と静香コールがかかる。
名前を呼ばれた生徒達が胸を張って居並ぶ中で、白い頬を桃の花のように染めた静香の美しさは際立っていた。千晶はまるで自分が表彰されたかのように、手が赤くなるほどに小躍りしながら拍手をし続けた。しかし、その中でひとりだけ射るような瞳で、静香を見続ける生徒がいた。
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静香と千晶は江ノ電に乗り、謝恩パーティが開催される「バンケットホール七里ヶ浜」へと
向かった。千晶は2月の末になって、やっと希望大学のKに決まったこともあって、嬉しくって
しかたがないといった様子だ。江ノ電の中でも、静香とその喜びを分かち合いたい様子で、
はしゃいでいた。
「江ノ電マップ」
千晶:「ねえ、静香。一番先頭に行って、二人掛
の席に座ろうよ」
そう言いながら、千晶は静香の手を引っ張るようにして、ホームの前方へと進んでいった。
先頭席は春の優しく透き通るような陽光が、
差し込み気持ちがいい。
静香:「そうね~。今日は天気がいいから、ひょ
っとしたら七里ヶ浜から富士山が見える
かもしれないわね」
静香の言葉どおり、よく晴れた日には、まるでダイヤモンドを散りばめたような煌めく海面の向こうに、薄瑠璃色(るりいろ)に白い根雪がかった美しい富士の姿を眺めることができる。
彼女は車窓から見えるそんな七里ガ浜の光景が好きだった。
※瑠璃色(るりいろ)がどんな色なのか、「和色図鑑」にリンクを貼ってありますので、ご興味のある方はご参考になさってみてください。また下記「2月の鎌倉」というページに七里ガ浜
から眺めた富士山の写真が掲載されています。こちらの方も合わせてご覧ください。
なお、「2月の鎌倉」というページの件で「鎌倉★情報館管理人のよろずや」さん
とおっしゃる方から、コメント欄を通じ、ご連絡をいただきました。「よろずや」さん、すてきなページを公開してくださってありがとうございます。この場をお借りして、
御礼申し上げます。
「和色図鑑」
「2月の鎌倉」「鎌倉★情報館管理人のよろずや」さん制作
また、2月9日投稿の「冬の追憶No.22-21」の中で、
雨漏り氏が旧喜多川邸を尋ねるシーンが出てきますが、「鎌倉★情報館管理人のよろずや」さんから「旧川喜多邸で映画を観る!」といページのご紹介もいただきました。
今年の2月26日にプレアデス国際短編映画祭に推薦する日本作品の選考会というのが行われるとの情報です。詳細は下記にリンクさせていただきましたので、ご興味のある方はこちらの方もご覧ください。
「旧川喜多邸で映画を観る!」
遠山誠は子供達が小学生の頃、春休みなどに「高徳院の大仏」や「光則寺」また「長谷寺」へと家族を連れて遊びに出かけた。そんな時は必ずと言っていいほど、江ノ電の先頭席に
座った。万が一、混んでいて座れない場合は、次の電車を待ったくらいだ。
息子の潤がその席に座りたがったからだ。普段は礼儀や言葉遣いに厳しい父だったが、
子供の小さな夢や願いを優しく聞き届けてくれた。彼女はそんな家族の記憶空間を、懐か
しく思い出していた。
しかし、鎌倉が大好きな父の誠が行きたがらない場所がひとつあった。夕闇迫る由比ガ浜
だった。静香が子供の頃、夏など父と一緒に由比ガ浜に散歩に行こうとねだっても「また、
こんど」と言って、いつもはぐらかす。母の響子に聞いても「父さんは今、お仕事がお忙しい
からね」と言ってなだめられる。だからこの頃の彼女は子供心に、父さんも母さんも夕方の
海が嫌いなのだと思っていた。
その理由を静香が分かったのは、中学に入学してからだった。自分の上には「作」という名前の兄がいて、水難事故で亡くなったことを。しかし、不思議なことに兄の写真は、ほとんど残っていない。正確には、父が静香にくれた1枚のスナップ写真を除いては・・・。彼女はどうしてなんだろうと、今でも疑問に思っている。
高徳院大仏 光則寺 長谷寺
※高徳院にある鎌倉の大仏の正式名称は「高徳院阿弥陀如来座像(こうとくいんあみだにょらいざぞう)。また「光則寺」は「行時山光則寺(高山さん制作)」、そして「長谷寺」は「浄土集鎌倉海光山慈照 院 長谷寺」といいます。これらのお寺はすべて江ノ電の長谷駅周辺に
点在しています。下記にそれぞれのお寺にリンクしてありますので、ご興味のある方はご覧になってみてください。
また、「鎌倉の大仏が何故建立されたのか」全くの謎とされていました。一説に
よると、奈良の大仏と同じように怨霊を鎮めるためにつくられたのではないかという説を公開してくださっている「岩井國臣さん」のページが興味深かったです。そちらのページにもリンク設定させていただきましたので、合わせてご覧ください。岩井國臣さん、ありがとうございます。この場をお借りして御礼申し上げます。
「高徳院鎌倉大仏」 「鎌倉大仏建立の謎(岩井國臣氏制作)」
「行時山光則寺」 「浄土集鎌倉海光山慈照院長谷寺」
七里ガ浜は、江ノ電の六つ目の駅。ひとつ手前の稲村ガ崎から小動岬(こゆるぎみさき)へ至る全長約4kmにも渡るゆるやかな海岸線は「日本の渚100選」にも名を連ねている。その海岸沿いの国道134号(別名 湘南道路)と平行して江ノ電が走っている。
また、穏やかな由比ガ浜海岸と比べると波が荒く、カラフルなヨットやウィンドサーフィンを楽しむ若者で賑わい人気を集めている。稲村が先を越えると目の前は青い海。そこは古都鎌倉というよりも湘南といった雰囲気だ。
彼女たちは七里ヶ浜駅から循環バス(有料 100円)に乗って、バス停の「潮騒通り」で下車をした。目の前がもう「バンケットホール」だった。
パーティ会場からはガラス越しに江の島や相模湾を望むことができ、潮騒の心地いい音色がこだまするような海辺のホテルらしい雰囲気だった。パーティは立食式。生徒や教師、父兄が自由に交流できるようにという配慮からだ。和やかな至福の時が流れ、パーティが中盤まで
さしかかった時、女性教頭のアナウスが流れた。
教頭:「今から、高等部の卒業試験において優秀な成績を収められた生徒さんの表彰を
行います。名前を呼ばれた方は前に出て来てください。理系から4名の方、そして
同じく文系から4名、計8名の方を選出いたしました」
今年のK女学院の卒業生は、全部で163名、クラスは全部で4クラス。静香と千晶は文系の
クラスに所属していた。一瞬、水を打ったような静けさに会場が包まれた。皆、誰の名前が
呼ばれるのか緊張した面持ちで教頭先生が発する声に注目している。最初に、理系の生徒の名前が読み上げられた。名前が読み上げられた生徒は、嬉しそうな表情で前へと進む。
その度に、生徒の間から「わあーっ」というどよめきがおきる。
文系の生徒の番になった。次々と名前が呼ばれ、最後の一人が読み上げられようとした時、
千晶が静香に
千晶:「ねえ、ひょっとして静香かもよ」
と言いながら、彼女のセーラー服の上着の裾を引っ張る仕草をした。
実は前日、担任の先生から静香宛に「成績優秀者」で表彰されることになったという電話を
もらったのだった。その連絡を受けたのは母の響子だった。彼女は勿論、とても喜んだ。
しかし娘に対して、あえて苦言を呈した。
響子:「静香が表彰されるのは、とても嬉しいことだけど・・・。当日のその時になるまで、
このことを学校で話してはいけませんよ。静香や千晶さんは、運よく希望大学に
合格できたけれど、浪人してもう一年頑張ろうとしている生徒さんもいるのです
から。決して浮かれてはいけませんよ」
響子らしいアドバイスだった。彼女も静香がそんな娘でないことはわかっていたのだが、
夫の誠がこの場にいたなら、同じことを娘に言ったと思ったからだった。
父兄も生徒も先生も、最後のひとりが誰なのか沈黙の面持ちで、じっと耳を澄ましている。
その静けさを破るように、教頭先生の声が会場に響き渡った。
教頭:「3年B組 遠山 静香さん」
静香の隣にいた千晶が「やっぱりね~」という表情をしながら、彼女の背中を押した。誰に
でも優しく控えめな静香に、クラスの皆は好感を持っている。何処からともなく、拍手が沸き
起こった。そして皆のどよめきに、たじろいでいる静香に対して「静香!静香!静香!・・・」
と静香コールがかかる。
名前を呼ばれた生徒達が胸を張って居並ぶ中で、白い頬を桃の花のように染めた静香の美しさは際立っていた。千晶はまるで自分が表彰されたかのように、手が赤くなるほどに小躍りしながら拍手をし続けた。しかし、その中でひとりだけ射るような瞳で、静香を見続ける生徒がいた。
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by jsby
| 2006-02-21 23:34
| 追憶 冬物語