2006年 08月 02日
冬の追憶No.23-12 |
「第6話 エニグマ変奏曲」
さらに、美千代はお雛さまに関わる興味深い話を続けた。
美千代:「創も静香さんも、雛祭りの定番曲『うれしいひなまつり』という童謡は知っている
わよね?わかっているところまでいいから、歌ってみて」
ふたりは彼女が何を言わんとしているのか意図がわからず、不思議そうに顔を見合わせた。静香がゆっくりではあるが、恥ずかしそうに小さな声で口ずさみ始めると、創も続けて歌い始めた。
創:「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひなまつり」
美千代:「貴方、男の子なのによく覚えていたわね。ところで、この曲を誰が作詞、作曲したか知っている?」
かつて幼稚園や小学校時代に慣れ親しみ、メロディを聴いただけでも、情景が浮かんで来
そうな曲だが、ふたりとも作詞・作曲者までは知らなかった。小学校時代の音楽の教科書に
は載っていたのかもしれないが、意外と記憶に残っていないものだ。
創 :「今日の母さん、まるで小学校の先生みたい。わからないなあ~。降参!」
美千代:「作詞はサトウハチロー、作曲は河村光陽という人よ。サトウハチローは名前が
よく知れた詩人だから、ふたりとも知っているでしょう」
「サトウハチロー」・「河村光陽」に関しては、下記のサイトにて紹介されています。ご興味の
ある方は、ご覧になってみてください。
d-score音楽家年表「サトウハチロー」
d-score音楽家年表「河村光陽」
また、「Hatena:Diary」というページ管理者でハンドルネーム「pract」さんという方が
「偉人に学ぶ」の中で、サトウハチローに関するプロフィールを載せていらっしゃいます。
Hatena:Diary「偉人に学ぶ」
創 :「でも、この歌がどうかしたの?」
美千代:「『うれしいひなまつり』と題が付いているのに、何とも言えず物悲しさを感じる
メロディだなあと思って、それで少し調べてみたのよ。だから私も受け売り」
美千代:「まず1番の冒頭に出てくる『あかりをつけましょ、ぼんぼりに』なんだけど、ぼん
ぼりは漢字だと、冬に降る『雪』という字と、洞窟の『洞』という字を書くのよ。
雪洞は、江戸時代に『ぼんやりとしてはっきりしないさま』という意味で使われて
いたの。そこから『ぼんやりと灯りが見える灯具』という意味で名前がついたらし
いわ」
創 :「じゃ、どうして『あかりをつけましょ ぼんぼりに』という歌詞にしたの?」
美千代:「江戸時代の時刻の呼び方なのだけど、時刻を十二支で表していたのよ。時代
劇にも、よく出て来るでしょう。例えば『子の刻は午後11時から午前1時の間、巳
の刻は午前9時~午前11時の間』といった具合」
美千代:「その時代、結婚式は神社やお寺などではなくて、自宅に親類縁者を招いて
行なっていたの。時間も昼間ではなくて夜間。『亥の刻』夜の9時頃から始ま
って11時ぐらいまでの間に執り行われた。だからぼんぼりに灯りを灯さなけ
ればならなかったの。現代でも結婚式のことを『華燭の典』と呼ぶのは、その
名残りだそうよ」
富山市科学文化センター「江戸時代の時刻制度」
美千代:「そして2番!『お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔 お嫁にいらした
姉様によくにた官女の 白い顔』の。問題は『お嫁にいらした 姉様に よくにた
官女の白い顔』のフレーズなのだけど、何か不自然さや違和感を感じない?お嫁
に行くのはお姫さまなのに・・・」
静香 :「確かに、そう言われてみると、そうですね」
美千代:「実はこれを書いた時の彼の心境がこの詩に反映されているのではないかと
言われているの」
美千代:「サトウハチローがこの詩を書いたのは、昭和十年(1935年)。その前年、彼は
最初の妻と別れ三人の子を引き取って暮らしていた。上の子供が小学校6年生、
真ん中の子が小学校の4年生。とても、お母さんが恋しい年頃よね」
美千代:「彼はそんな子供達を不憫に思い、豪華な雛人形を買い与えたの。当時のお金
で200円。大学の初任給が60円から70円の時代だから、その3、4倍にも当た
る高級品だったそうよ」
美千代:「お嬢さんたちは彼が買い与えたお雛様の側で、嬉しそうに一日中お雛さまを
眺めて過ごしていた。そんな子供達の様子を見て、この歌の歌詞を思いついた
と言われているの」
美千代:「それとね、『お嫁にいらした姉様によく似た官女の白い顔』のフレーズなんだけど、
子供の頃ハチローは腰に大火傷を負い、そのため満足に歩けず家の中で遊ぶ
ことが多かった。そんな彼は4歳年上の姉喜美子からピアノを教えてもらったそう
なの。この姉の影響を受けたおかげで、大人になったハチローが詩的な才能に
目覚めたと言われているわ」
美千代:「そんな優しいお姉さんが嫁ぎ先も決まっていた矢先に、肺結核に冒されて婚約も
一方的に破棄され、お嫁に行かずに18歳で亡くなってしまった。歌にもあるとおり
色白で綺麗なお姉さんだったそうよ」
美千代:「ハチローは、『お嫁にいらした姉様に』と、歌の中だけでも姉に幸せな結婚をさせ
たかった。そんな仮想現実を創り出すことで、姉の想いを遂げて上げたいと思って
詩を書いた」
美千代:「『いらした』は「逝ってしまう」という意味もあるわよね。だから、4つ違いのお姉
さんに対する鎮魂歌ではないかというエピソードがあるの。三人官女の中では
結婚して子供がいて、それに仕事もしているのは真ん中の女官。女性の生き方
としては幸せを絵に書いたような理想的な姿よね。」
美千代:「この詩に河村光陽がメロディをつけ、光陽の長女の純子がレコードで歌うと、瞬く
間に有名になり、ひな祭り童謡の定番曲となった。 ところが、当のハチロー自身は
この歌を嫌っていたの。多分、この曲が有名になり過ぎて、歌を聞くたびに大好き
だったお姉さんのことが思い出されて、せつなくって仕方がなかった、だからこの歌
を嫌ったのではないのかしら」
※参考文献 「案外、知らずに歌ってた童謡の謎」
今回、この物語を書くにあたって「案外、知らずに歌ってた童謡
の謎」(合田道人著)という書籍を購入してみました。童謡の謎
シーリズ」は20万部にも及ぶ、隠れたベストセラーというだけ
あって、内容的にも充実しています。お薦めの一冊です。
各図書館の「貸し出し人気図書 第6位」にランクインしています
ので、ご覧になりたい方は最寄りの図書館にて予約登録される
か文庫本(600円)の購入をお薦めいたします。
美千代:「どうして、こんな話をするかわかる。静香さんのお母さんが、お雛様の台座に自分
のイニシャルである『K』という文字を彫ったのかしら?自分のためだったら、そこ
までしなかったじゃないかしらと思ったの」
静香 :「私も、深く考えてもみませんでした。もしかしたら、母は3つ違いの姉のためにお雛
様だけでも取り戻して上げたかったのかもしれません。母なりに、何かそうしたいと
思った特別の事情があったのかも・・・」
創 :「さすが母さん、鋭いね」
美千代:「これはあくまでも私の推測だけど、その頃、静香さんのお母さんは大学4年生で
21歳か22歳。3つ違いだとすると、お姉さんは24歳か25歳。今から26年前の
日本の状況だと、結婚適齢期。もしかしたら、お姉さんに結婚の話があったのか
もしれないわ。だけど、さまざまな事情で断念せざるを得なかった」
静香 :「確かに伯母は未だに独身だわ。帰ったら、それとなく母に聞いてみようかしら」
美千代:「そっとしておいてあげた方がいいわ。子供にも話したくないことって、あると思う
から」
静香は美千代の話を聞いていて、改めて母の行動には不可解なことが多いと思った。
それでもこうして、少しずつ晴れそうにない霧が晴れていくのは怖くもあり、大人の女性に
近付いていくような気がしていた。
この物語を幅広く皆様にお読みいだだけたらと思い、下記2つの「ブログランキング」サイトに登録してみました。何か心に感じることがありましたら、クリックして
いただけますと嬉しく思います。どうぞ、よろしくお願い致します。
「人気blogランキング 詩、小説部門」
さらに、美千代はお雛さまに関わる興味深い話を続けた。
美千代:「創も静香さんも、雛祭りの定番曲『うれしいひなまつり』という童謡は知っている
わよね?わかっているところまでいいから、歌ってみて」
ふたりは彼女が何を言わんとしているのか意図がわからず、不思議そうに顔を見合わせた。静香がゆっくりではあるが、恥ずかしそうに小さな声で口ずさみ始めると、創も続けて歌い始めた。
創:「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひなまつり」
美千代:「貴方、男の子なのによく覚えていたわね。ところで、この曲を誰が作詞、作曲したか知っている?」
かつて幼稚園や小学校時代に慣れ親しみ、メロディを聴いただけでも、情景が浮かんで来
そうな曲だが、ふたりとも作詞・作曲者までは知らなかった。小学校時代の音楽の教科書に
は載っていたのかもしれないが、意外と記憶に残っていないものだ。
創 :「今日の母さん、まるで小学校の先生みたい。わからないなあ~。降参!」
美千代:「作詞はサトウハチロー、作曲は河村光陽という人よ。サトウハチローは名前が
よく知れた詩人だから、ふたりとも知っているでしょう」
「サトウハチロー」・「河村光陽」に関しては、下記のサイトにて紹介されています。ご興味の
ある方は、ご覧になってみてください。
d-score音楽家年表「サトウハチロー」
d-score音楽家年表「河村光陽」
また、「Hatena:Diary」というページ管理者でハンドルネーム「pract」さんという方が
「偉人に学ぶ」の中で、サトウハチローに関するプロフィールを載せていらっしゃいます。
Hatena:Diary「偉人に学ぶ」
創 :「でも、この歌がどうかしたの?」
美千代:「『うれしいひなまつり』と題が付いているのに、何とも言えず物悲しさを感じる
メロディだなあと思って、それで少し調べてみたのよ。だから私も受け売り」
美千代:「まず1番の冒頭に出てくる『あかりをつけましょ、ぼんぼりに』なんだけど、ぼん
ぼりは漢字だと、冬に降る『雪』という字と、洞窟の『洞』という字を書くのよ。
雪洞は、江戸時代に『ぼんやりとしてはっきりしないさま』という意味で使われて
いたの。そこから『ぼんやりと灯りが見える灯具』という意味で名前がついたらし
いわ」
創 :「じゃ、どうして『あかりをつけましょ ぼんぼりに』という歌詞にしたの?」
劇にも、よく出て来るでしょう。例えば『子の刻は午後11時から午前1時の間、巳
の刻は午前9時~午前11時の間』といった具合」
美千代:「その時代、結婚式は神社やお寺などではなくて、自宅に親類縁者を招いて
行なっていたの。時間も昼間ではなくて夜間。『亥の刻』夜の9時頃から始ま
って11時ぐらいまでの間に執り行われた。だからぼんぼりに灯りを灯さなけ
ればならなかったの。現代でも結婚式のことを『華燭の典』と呼ぶのは、その
名残りだそうよ」
富山市科学文化センター「江戸時代の時刻制度」
美千代:「そして2番!『お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔 お嫁にいらした
姉様によくにた官女の 白い顔』の。問題は『お嫁にいらした 姉様に よくにた
官女の白い顔』のフレーズなのだけど、何か不自然さや違和感を感じない?お嫁
に行くのはお姫さまなのに・・・」
美千代:「実はこれを書いた時の彼の心境がこの詩に反映されているのではないかと
言われているの」
美千代:「サトウハチローがこの詩を書いたのは、昭和十年(1935年)。その前年、彼は
最初の妻と別れ三人の子を引き取って暮らしていた。上の子供が小学校6年生、
真ん中の子が小学校の4年生。とても、お母さんが恋しい年頃よね」
美千代:「彼はそんな子供達を不憫に思い、豪華な雛人形を買い与えたの。当時のお金
で200円。大学の初任給が60円から70円の時代だから、その3、4倍にも当た
る高級品だったそうよ」
美千代:「お嬢さんたちは彼が買い与えたお雛様の側で、嬉しそうに一日中お雛さまを
眺めて過ごしていた。そんな子供達の様子を見て、この歌の歌詞を思いついた
と言われているの」
美千代:「それとね、『お嫁にいらした姉様によく似た官女の白い顔』のフレーズなんだけど、
子供の頃ハチローは腰に大火傷を負い、そのため満足に歩けず家の中で遊ぶ
ことが多かった。そんな彼は4歳年上の姉喜美子からピアノを教えてもらったそう
なの。この姉の影響を受けたおかげで、大人になったハチローが詩的な才能に
目覚めたと言われているわ」
一方的に破棄され、お嫁に行かずに18歳で亡くなってしまった。歌にもあるとおり
色白で綺麗なお姉さんだったそうよ」
美千代:「ハチローは、『お嫁にいらした姉様に』と、歌の中だけでも姉に幸せな結婚をさせ
たかった。そんな仮想現実を創り出すことで、姉の想いを遂げて上げたいと思って
詩を書いた」
美千代:「『いらした』は「逝ってしまう」という意味もあるわよね。だから、4つ違いのお姉
さんに対する鎮魂歌ではないかというエピソードがあるの。三人官女の中では
結婚して子供がいて、それに仕事もしているのは真ん中の女官。女性の生き方
としては幸せを絵に書いたような理想的な姿よね。」
美千代:「この詩に河村光陽がメロディをつけ、光陽の長女の純子がレコードで歌うと、瞬く
間に有名になり、ひな祭り童謡の定番曲となった。 ところが、当のハチロー自身は
この歌を嫌っていたの。多分、この曲が有名になり過ぎて、歌を聞くたびに大好き
だったお姉さんのことが思い出されて、せつなくって仕方がなかった、だからこの歌
を嫌ったのではないのかしら」
※参考文献 「案外、知らずに歌ってた童謡の謎」
今回、この物語を書くにあたって「案外、知らずに歌ってた童謡
の謎」(合田道人著)という書籍を購入してみました。童謡の謎
シーリズ」は20万部にも及ぶ、隠れたベストセラーというだけ
あって、内容的にも充実しています。お薦めの一冊です。
各図書館の「貸し出し人気図書 第6位」にランクインしています
ので、ご覧になりたい方は最寄りの図書館にて予約登録される
か文庫本(600円)の購入をお薦めいたします。
美千代:「どうして、こんな話をするかわかる。静香さんのお母さんが、お雛様の台座に自分
のイニシャルである『K』という文字を彫ったのかしら?自分のためだったら、そこ
までしなかったじゃないかしらと思ったの」
静香 :「私も、深く考えてもみませんでした。もしかしたら、母は3つ違いの姉のためにお雛
様だけでも取り戻して上げたかったのかもしれません。母なりに、何かそうしたいと
思った特別の事情があったのかも・・・」
創 :「さすが母さん、鋭いね」
21歳か22歳。3つ違いだとすると、お姉さんは24歳か25歳。今から26年前の
日本の状況だと、結婚適齢期。もしかしたら、お姉さんに結婚の話があったのか
もしれないわ。だけど、さまざまな事情で断念せざるを得なかった」
静香 :「確かに伯母は未だに独身だわ。帰ったら、それとなく母に聞いてみようかしら」
美千代:「そっとしておいてあげた方がいいわ。子供にも話したくないことって、あると思う
から」
静香は美千代の話を聞いていて、改めて母の行動には不可解なことが多いと思った。
それでもこうして、少しずつ晴れそうにない霧が晴れていくのは怖くもあり、大人の女性に
近付いていくような気がしていた。
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by jsby
| 2006-08-02 22:30
| 追憶 冬物語