2006年 05月 02日
冬の追憶No.22-42 |
「第5話 迷路」
響子にとって、今日という日はとても長く、随分遠くまで歩いて来たように思えた。そして長年溜め込んできた心の疲れが由香によって
解きほぐされ、軽くなっていくように感じていた。
心の預け場所があるというのは、こんなにも心地の良いものなのだ。大学を卒業してすぐに結婚・出産を経験してきた響子にとって、これ
まで自分の話を聞いて理解してもらえる友人などいなかったからだ。
「ホテルモントレ大阪」
さりとて姉の裕子に話せば心配をかけるし、夫の誠にもそれ以上の気遣いをかけたくない。
そんな状況の中で誰にも自分の気持ちを気付かれないように、いつしか心に鍵をかけてい
たような気がした。
由香が鏡台脇に掛けられている南欧風の絵を眺めながら、
由香:「この絵、すかっとしていて心が開放されるみたいね。ねぇ、自分が大切に思っ
ている人の心のすべてを占有したいとは思わないけれど、『自分や相手が思っ
ていることを、そのまま素直な形でお互いの心の中にワープさせることができ
たらいいのに』と思ったことない?」
由香:「自分の気持ちの有り様を言葉で表現するのはとても難しいわ。伝え方次第に
よっては誤解が生まれたり、行き違いをしたり、それに相手の反応次第で『こん
なこと言うはずじゃなかったのに』と傷つけたりもしてしまうから」
響子は由香も元のご主人との決別する時に、たくさんの試行錯誤を繰り返しながら、苦渋
の選択をしたのだと思った。
響子:「そうね。そんなことができたらいいのにね。でも結局、ワープされた心を受け取る
のもやはり人間ですもの。相手の心のすべてを知ったために、傷つく場合もある
と思うわ。でも相手の心が全く見えなくなってしまったら、ワープして心の扉を開け
に行くのもいいかもしれないわね」
由香:「そうか、そう言われてみればそうねぇ。私なんか感じたことをそのまま相手にぶっ
つけてしまうからいけないだわ。その点、響子さんは思いやりがあって大人だわ。
相手の立場を考えて、慎重に言葉を選んで話すものね。だから、知らず、知らず
のうちに心が疲労するのかもね」
由香:「ところで、作ちゃんの写真を燃やした時、遠山氏は止めなかったの?」
響子:「勿論、止めたわ。『でも作のことで、ずっと芳野千尋の影を追いながら、生活して
いくのは辛いから。これからは作を差し挟んでの夫婦でなくて、遠山誠と響子なり
の家庭を築いていきたいの。だから、区切りをつけたい』って話をしたの」
由香:「それに対しての遠山氏の反応は?」
響子:「とても悲しそうで、淋しそうだったけど『君がそうすることによって、少しでも気が
楽になるのなら』って言ってくれたわ。遠山はそうやって、小石を投げて出来た
波紋を受け止めて、また静かな湖面に戻るまで、じっと待っていてくれる人なの」
響子:「私が庭で作の写真を燃やしていた時も、そっとしておいてくれたわ。しばらくして、
彼は写真を燃やした後に佇んで、たまたま1枚だけ燃えないで残っていた写真を
見つけ『この写真だけ僕にくれないか』って煤を払いながら、自分のズボンのポケ
ットに大切そうにしまってしまったわ。そう言えば、あの写真は何処にいってしまっ
たのかしら」
響子にすれば、まさかその写真が誠から静香の手に渡されていたとは、思ってもみない
ことだった。
由香:「ねぇ、何か軽いお酒でも、ルームサービスに頼みましょうか。何がいいかしら?」
響子:「私は、何でも」
由香:「それじゃねえ~、カクテルとチーズの盛り合わせでいい」
由香が慣れた調子でフロントに電話を入れてくれた。響子には由香のさりげない気遣いが嬉しかった。沈み込みそうになると、適当に気分転換させてくれる。お酒は心の緊張を解き、聞き上手、話上手にもしてくれることを知っているからだ。
ルームサービスが運んできたカクテルで、部屋の中が芳醇な香りに包まれた。
由香:「さっきの話に戻るけど、遠山氏は辛い経験を乗り越えて、半年後に復帰したので
しょう。何がきっかけになったの?」
響子:「遠山は芳野と約束をしたの。『私のお腹の子の父親として立派に育てる』と、だから
よけいに責任を感じてしまって。学生時代の友人に芳野の消息を尋ねてみたのだけ
ど、商社に勤めたことまでは皆知っているのだけど、その後何処にいるのかわから
なかったの。それで仕方なく、「赤い海」というエッセイを自費出版したの。本だったら、
何処かで手にする機会もあるかもしれないって」
由香:「それで、ふっきれたのね」
響子:「主人に重い十字架を背負わせてしまったのは、この私なのに。私、遠山と出会って
いなかったら、どうなっていたかわからないわ。懐が大きくって、すてきな人だったわ」
響子の目から温かい涙がこぼれ落ちた。さっきまで降っていた雪が雨に変わったらしい。
由香が開け放った窓に、街の灯りを映し出した雫がゆっくりと流れ落ちていく。それは七色にきらきらと輝き、響子や由香の夢を祝福しているかのようだった。
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響子にとって、今日という日はとても長く、随分遠くまで歩いて来たように思えた。そして長年溜め込んできた心の疲れが由香によって
解きほぐされ、軽くなっていくように感じていた。
心の預け場所があるというのは、こんなにも心地の良いものなのだ。大学を卒業してすぐに結婚・出産を経験してきた響子にとって、これ
まで自分の話を聞いて理解してもらえる友人などいなかったからだ。
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さりとて姉の裕子に話せば心配をかけるし、夫の誠にもそれ以上の気遣いをかけたくない。
そんな状況の中で誰にも自分の気持ちを気付かれないように、いつしか心に鍵をかけてい
たような気がした。
由香が鏡台脇に掛けられている南欧風の絵を眺めながら、
由香:「この絵、すかっとしていて心が開放されるみたいね。ねぇ、自分が大切に思っ
ている人の心のすべてを占有したいとは思わないけれど、『自分や相手が思っ
ていることを、そのまま素直な形でお互いの心の中にワープさせることができ
たらいいのに』と思ったことない?」
由香:「自分の気持ちの有り様を言葉で表現するのはとても難しいわ。伝え方次第に
よっては誤解が生まれたり、行き違いをしたり、それに相手の反応次第で『こん
なこと言うはずじゃなかったのに』と傷つけたりもしてしまうから」
の選択をしたのだと思った。
響子:「そうね。そんなことができたらいいのにね。でも結局、ワープされた心を受け取る
のもやはり人間ですもの。相手の心のすべてを知ったために、傷つく場合もある
と思うわ。でも相手の心が全く見えなくなってしまったら、ワープして心の扉を開け
に行くのもいいかもしれないわね」
由香:「そうか、そう言われてみればそうねぇ。私なんか感じたことをそのまま相手にぶっ
つけてしまうからいけないだわ。その点、響子さんは思いやりがあって大人だわ。
相手の立場を考えて、慎重に言葉を選んで話すものね。だから、知らず、知らず
のうちに心が疲労するのかもね」
由香:「ところで、作ちゃんの写真を燃やした時、遠山氏は止めなかったの?」
響子:「勿論、止めたわ。『でも作のことで、ずっと芳野千尋の影を追いながら、生活して
いくのは辛いから。これからは作を差し挟んでの夫婦でなくて、遠山誠と響子なり
の家庭を築いていきたいの。だから、区切りをつけたい』って話をしたの」
由香:「それに対しての遠山氏の反応は?」
響子:「とても悲しそうで、淋しそうだったけど『君がそうすることによって、少しでも気が
楽になるのなら』って言ってくれたわ。遠山はそうやって、小石を投げて出来た
波紋を受け止めて、また静かな湖面に戻るまで、じっと待っていてくれる人なの」
響子:「私が庭で作の写真を燃やしていた時も、そっとしておいてくれたわ。しばらくして、
彼は写真を燃やした後に佇んで、たまたま1枚だけ燃えないで残っていた写真を
見つけ『この写真だけ僕にくれないか』って煤を払いながら、自分のズボンのポケ
ットに大切そうにしまってしまったわ。そう言えば、あの写真は何処にいってしまっ
たのかしら」
響子にすれば、まさかその写真が誠から静香の手に渡されていたとは、思ってもみない
ことだった。
由香:「ねぇ、何か軽いお酒でも、ルームサービスに頼みましょうか。何がいいかしら?」
響子:「私は、何でも」
由香:「それじゃねえ~、カクテルとチーズの盛り合わせでいい」
ルームサービスが運んできたカクテルで、部屋の中が芳醇な香りに包まれた。
由香:「さっきの話に戻るけど、遠山氏は辛い経験を乗り越えて、半年後に復帰したので
しょう。何がきっかけになったの?」
響子:「遠山は芳野と約束をしたの。『私のお腹の子の父親として立派に育てる』と、だから
よけいに責任を感じてしまって。学生時代の友人に芳野の消息を尋ねてみたのだけ
ど、商社に勤めたことまでは皆知っているのだけど、その後何処にいるのかわから
なかったの。それで仕方なく、「赤い海」というエッセイを自費出版したの。本だったら、
何処かで手にする機会もあるかもしれないって」
由香:「それで、ふっきれたのね」
響子:「主人に重い十字架を背負わせてしまったのは、この私なのに。私、遠山と出会って
いなかったら、どうなっていたかわからないわ。懐が大きくって、すてきな人だったわ」
響子の目から温かい涙がこぼれ落ちた。さっきまで降っていた雪が雨に変わったらしい。
由香が開け放った窓に、街の灯りを映し出した雫がゆっくりと流れ落ちていく。それは七色にきらきらと輝き、響子や由香の夢を祝福しているかのようだった。
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by jsby
| 2006-05-02 14:51
| 追憶 冬物語