2006年 10月 05日
冬の追憶No.23-22 |
「第6話 エニグマ変奏曲」
鎌倉駅から「太刀洗行き」のバスに揺られ浄妙寺へと向かう車中、千尋の手の中でさっき
の花屋で買い求めた白い花束が揺れていた。彼は、ひとコマ、ひとコマ、ゆっくりと流れて
いくかのような車窓からの風景をぼんやりと眺めながら、学生時代に誠と一緒に「彼岸(向
こう岸)から来た男」という脚本を描いた日々を思い出していた。
『彼岸(ひがん)とは極楽浄土のこと。心身の欲望、苦痛、怒り、悲しみ、悩み、執着など、
すべての煩悩のない静かで安らぎの世界。それに対して、煩悩に満ち溢れた現世を此岸
(しがん)という。
「彼岸」は、仏教で言う「理想の世界」がある向こう岸と呼ばれ、此岸はこちら岸とも呼ばれ
てきた。何故、春分・秋分の数日間がお彼岸週間なのか。春分の日と秋分の日は、昼と夜
の長さが同じなる。太陽は真東から出て、真西に沈む。仏教では、太陽が沈む真西に極楽
浄土があると信じられてきたからである。
また「お彼岸のお墓参り」の習慣は、極楽浄土へ通じる道があるとされる彼岸の週に、亡く
なった先祖の霊を供養するとともに、自分も煩悩のない安らぎの世界、悟りの世界(彼岸)
へと行けるよう祈るという日本独自の仏教観』。大学の図書館で、ふたりで調べた「彼岸」に
関する語源や由来だった。
これらを基に、誠と千尋が書いた「彼岸(向こう岸)から来た男」という作品は『若くして恋人を残し、この世を去ってしまった男性が、恋人に幸せな結婚をさせるため、春と秋のお彼岸の数日間を利用して人間界に現われるという筋立て。
恋人に近寄る男性たちの素行を調べたり、人物チェックを繰り広げたりしながら、理想の結婚相手に巡り合わせようとする奇想天外な物語』。誠と過ごした青春の一ページ、あの頃の自分は今よりも
ずっと楽しく、輝いていたような気がした。
千尋は、あやうく「浄明寺」のバス亭を乗り過ごすそうになった。バスを降り浄妙寺の山門
に一歩一歩近付くほどに、彼はそれまで感じたことがないような緊張感が身体中を走るのを
感じた。
26年前、何もかも誠に押しつけたように、立ち去ってしまった自分がいまさら会いに来たと
したら、彼は激怒しないだろうか。あちら岸から「哀れで無様な奴」とさげすみはしないだろ
うか。躊躇という心のベールが彼の行く手に立ち塞がろうとしていた。
しかし、そんな心の緊張を払拭するように、3月下旬にさしかかろうとしているにもかかわらず、山門脇の白梅が彼を境内へと誘い込むように、馥郁(ふくいく)たる香を漂わせていた。
絵画の額縁のような山門の向こうには、さらに紅梅が咲き、初めてこのお寺を訪ねた千尋を優しく出迎えてくれているように感じた。
そんな思いを胸に、山門をくぐると色鮮やかな緑青色(ろくしょういろ) の銅葺き屋根の本堂が目に飛び込んできた。江戸時代中期に建て替えられたという銅葺きの大屋根が、その当時の威厳のある風格を偲ばせ、芽吹き始めた初春の山の木々と霞がかった青い空に映え、まるで日本画の世界へと迷い込んだような美しさだった。
本堂までと続く白い石畳の両側には、よく手入れが行き届いた濃い緑色の木々が植えられ、境内に華を添えるがごとく、清楚な美しさを放っている。さすが『鎌倉五山』第五位のお寺だけあって、その格式は高い。お寺の正式名称は『稲荷山浄妙廣利禅寺(とうかさんじょうみょうじ)』。誠が永遠の眠りにつくには、この上ないような品格を漂わせている。
約2ヶ月前の冬の日、千尋が佇んでいると同じ場所で誠の娘の静香と自分の息子の創が出会い、お互いの存在に惹かれ合ってしまったのは、不思議な縁と言えよう。しかも彼らの愛が深まれば、深まるほど、誠・響子・千尋の封印された記憶の扉に向かって歩んでこようとしている。なんとも皮肉な巡り合わせとしか思えない。ここに彼らを放射線のように集わせるのは運命なのか、それとも必然なのか。
千尋は遠山誠のお墓の場所を尋ねるとともに、お線香を買い求めるため本堂へと立ち寄
った。お寺の奥さんらしい女性が、彼を遠山家のお墓へと案内してくれた。彼女は歩きながら、初めて訪れたという千尋のために、浄妙寺に関わる歴史や本堂裏手にある足利貞氏の
お墓、同境内にある茶堂「喜泉庵」、また境内の裏山にある大正時代の洋館を利用したレス
トラン「石窯ガーデンテラス」の説明をしてくれた。
「足利貞氏のお墓」 茶堂「喜泉庵」 「石窯ガーデンテラス」
「稲荷山浄妙寺(とうかさんじょうみょうじ)の歴史」
「石窯ガーデンテラス」
遠山家のお墓は、喜泉庵から境内左手の坂道を登った山の中腹の一角にあった。南正
面に見えるのは「衣張り山」だと、その女性が教えてくれた。標高100mほどの山だが、その昔、北条政子が季節はずれの夏の時季に「雪が見たい」と言ったため、源 頼朝がこの山を
白い衣で被って夏の涼を楽しんだことから、その名がついたとのことだった。
その女性は、千尋の手に握られている白い花束に気が付くと「遠山さんが、お好きだった白い花!よくご存知で。では、どうぞごゆっくり、お参りくださいませ」と言い終え、本道へと通じる坂道を、ゆっくりと降りていった。
この物語を幅広く皆様にお読みいだだけたらと思い、下記2つの「ブログランキング」サイトに登録してみました。何か心に感じることがありましたら、クリックして
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鎌倉駅から「太刀洗行き」のバスに揺られ浄妙寺へと向かう車中、千尋の手の中でさっき
の花屋で買い求めた白い花束が揺れていた。彼は、ひとコマ、ひとコマ、ゆっくりと流れて
いくかのような車窓からの風景をぼんやりと眺めながら、学生時代に誠と一緒に「彼岸(向
こう岸)から来た男」という脚本を描いた日々を思い出していた。
すべての煩悩のない静かで安らぎの世界。それに対して、煩悩に満ち溢れた現世を此岸
(しがん)という。
「彼岸」は、仏教で言う「理想の世界」がある向こう岸と呼ばれ、此岸はこちら岸とも呼ばれ
てきた。何故、春分・秋分の数日間がお彼岸週間なのか。春分の日と秋分の日は、昼と夜
の長さが同じなる。太陽は真東から出て、真西に沈む。仏教では、太陽が沈む真西に極楽
浄土があると信じられてきたからである。
また「お彼岸のお墓参り」の習慣は、極楽浄土へ通じる道があるとされる彼岸の週に、亡く
なった先祖の霊を供養するとともに、自分も煩悩のない安らぎの世界、悟りの世界(彼岸)
へと行けるよう祈るという日本独自の仏教観』。大学の図書館で、ふたりで調べた「彼岸」に
関する語源や由来だった。
これらを基に、誠と千尋が書いた「彼岸(向こう岸)から来た男」という作品は『若くして恋人を残し、この世を去ってしまった男性が、恋人に幸せな結婚をさせるため、春と秋のお彼岸の数日間を利用して人間界に現われるという筋立て。
恋人に近寄る男性たちの素行を調べたり、人物チェックを繰り広げたりしながら、理想の結婚相手に巡り合わせようとする奇想天外な物語』。誠と過ごした青春の一ページ、あの頃の自分は今よりも
ずっと楽しく、輝いていたような気がした。
千尋は、あやうく「浄明寺」のバス亭を乗り過ごすそうになった。バスを降り浄妙寺の山門
に一歩一歩近付くほどに、彼はそれまで感じたことがないような緊張感が身体中を走るのを
感じた。
26年前、何もかも誠に押しつけたように、立ち去ってしまった自分がいまさら会いに来たと
したら、彼は激怒しないだろうか。あちら岸から「哀れで無様な奴」とさげすみはしないだろ
うか。躊躇という心のベールが彼の行く手に立ち塞がろうとしていた。
しかし、そんな心の緊張を払拭するように、3月下旬にさしかかろうとしているにもかかわらず、山門脇の白梅が彼を境内へと誘い込むように、馥郁(ふくいく)たる香を漂わせていた。
絵画の額縁のような山門の向こうには、さらに紅梅が咲き、初めてこのお寺を訪ねた千尋を優しく出迎えてくれているように感じた。
本堂までと続く白い石畳の両側には、よく手入れが行き届いた濃い緑色の木々が植えられ、境内に華を添えるがごとく、清楚な美しさを放っている。さすが『鎌倉五山』第五位のお寺だけあって、その格式は高い。お寺の正式名称は『稲荷山浄妙廣利禅寺(とうかさんじょうみょうじ)』。誠が永遠の眠りにつくには、この上ないような品格を漂わせている。
約2ヶ月前の冬の日、千尋が佇んでいると同じ場所で誠の娘の静香と自分の息子の創が出会い、お互いの存在に惹かれ合ってしまったのは、不思議な縁と言えよう。しかも彼らの愛が深まれば、深まるほど、誠・響子・千尋の封印された記憶の扉に向かって歩んでこようとしている。なんとも皮肉な巡り合わせとしか思えない。ここに彼らを放射線のように集わせるのは運命なのか、それとも必然なのか。
った。お寺の奥さんらしい女性が、彼を遠山家のお墓へと案内してくれた。彼女は歩きながら、初めて訪れたという千尋のために、浄妙寺に関わる歴史や本堂裏手にある足利貞氏の
お墓、同境内にある茶堂「喜泉庵」、また境内の裏山にある大正時代の洋館を利用したレス
トラン「石窯ガーデンテラス」の説明をしてくれた。
「稲荷山浄妙寺(とうかさんじょうみょうじ)の歴史」
「石窯ガーデンテラス」
遠山家のお墓は、喜泉庵から境内左手の坂道を登った山の中腹の一角にあった。南正
面に見えるのは「衣張り山」だと、その女性が教えてくれた。標高100mほどの山だが、その昔、北条政子が季節はずれの夏の時季に「雪が見たい」と言ったため、源 頼朝がこの山を
白い衣で被って夏の涼を楽しんだことから、その名がついたとのことだった。
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by jsby
| 2006-10-05 18:05
| 追憶 冬物語